14:38乳頭山に到着。
北側に「横浜のランドマークタワー」「ベイブリッジ」「鶴見つばさ橋」が確認できました。
直ぐ近くには長浦湾、
海ほたるも見えます。
東京湾は、やはり奥側が広い。
ちなみに乳頭山には三角点と、
山頂を示す標識もあります。
のんびり休憩したかったけど、団体さんも来たし、多分まだ1時間半程歩くから、数分で下山開始。
手前の分岐に戻り畠山方面へいくと、急に道が細くなった。あんまり歩く人いないのかな?
少し下ると田浦へ向かう分岐。
他のパーティーは多分田浦に向かうだろう。
「そっちの方がいいかな?」と迷ったけど初志貫徹!
静まりかえった道を進むと、時々ざわざわって音がする!ビビってその方向を見ると、台湾リス!この辺りイノシシ多いらしい。ホッとする。
時計を見ると14:55!
「そろそろ人里が恋しいなあ」
・・・と思ったら畠山との分岐の標識。
時刻は15:14。
横浜横須賀道路をくぐり、
イノシシ注意の警告の横を過ぎ、念願の人里!
でもまた直ぐ安針塚への道はおさみしい感じに。
コンクリートの階段を登ると標識。
登りきると、安針塚の記念碑?
そして説明。
三浦安針ことウィリアム・アダムスはイギリス人。オランダ東インド会社の元船乗り。自分の乗った船が難波し、漂流の後日本に住むことになり、その後航海術や造船技術を徳川家家臣に教えた。そしてその功績を称えられ、三浦安針となりこの辺りに領地を授与された。
最終的に祖国に帰ることはなく、日本の平戸で亡くなったけど、ここに塚があるのはそういった背景から。
(写真が目的の安針塚)
ちなみに、オランダ東インド会社は、世界で最初の株式会社。リスクヘッジのために、当時一回の航海毎に資金を集め、戻る毎に行っていた精算をやめ、かわりに必要な資金を小口に分けて株にして投資家に買ってもらってビジネスを永続的に行うようにしたのが株式会社。
安針も遭難して大変な目に遭ってるから、当時はかなりリスキーだったのだろうな。
安針塚は高台。ここからも海が見えます。
もう15:40。あと少しで16時帰らないと。
この辺り一帯は、塚山公園となっています。
春は桜が綺麗みたいですね。
身支度を整え、安針塚駅へ。
16:09着。
2つのトンネルの間にある駅。
海の近くまで山がある横須賀らしい地形。
約10キロの2つの海を繋ぐ縦走は、予想以上に良かったです。