久々の青空。
晴れるのわかってたけど、昨日の猛烈な雨を考えると、山に行くのはやめました。
最近コロコロ天気が変わって怖い。
ここ数ヶ月諸事情にてひかえていたクライミング 。
この前、心機一転シューズを新調!
目白のカラファテで。
靴と一緒にかわいい袋がついてきた。
今度クライミング する時は晴れますように。
またしても嫌な天気の週末。
そろそろ山に行きたいところですが、土曜の朝からいろいろ用事があるのでお出かけ。
まずは東京駅周辺へ。
それから日本橋方面。時間も体力もあり余り、雨も止んだので歩くことにしました。
随分前に仕事で書類出しに来たけど、
まじまじと建物を眺めたのは初めて。立派ですね。
設計は辰野金吾氏。1896年竣工。
明治時代の建築物。国の重要文化財。
江戸時代に金座があった場所にあります。
そしてそのお向かいは三井本館。
かつての三井財閥の本拠。
そして越後屋がそもそもあったところ。
これも同じく重要文化財。
隣にはマンダリンオリエンタルホテルのある日本橋室町三井タワーがあります。
この辺りは三井不動産のテリトリー。
お洒落なビジネス街はNYを彷彿させます。
日本橋といえば、日本国道路元標。
道路の起点となる場所を示すものがあります。
徳川幕府が定めた五街道(東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道)の起点を明治政府が踏襲したものだそうです。
この日も結構観光客がいました。今は橋のたもとから神田川を下る船も出ています。船に乗ったり、街道歩きの旅をするのも良いかも。この夏は奥州街道歩きっぽいことしてるから、下界セクションは散歩に最適かな。
最後は日比谷へ。丸の内界隈経由で。
この建物は3代目で1980年竣工。これが建つ以前は、いかにも明治・大正時代の丸の内といった趣の桜井小太郎氏設計の建物がありました。
道路をはさんだ向かいには、三菱一号館美術館。ジョサイア・コンドル設計の建物を復元したもの。このコンドル氏の弟子が、日銀の建物を設計した辰野金吾氏。また三菱銀行本店の2代目の建物の設計者である桜井小太郎も同じくコンドル氏のもとで働いている。だから建物の雰囲気とか似てるのかな。
ちなみにコンドル氏つながりでいくと、港区にある綱町三井倶楽部もコンドル氏の設計。随分前に入ったことがありますが、クラシカルでエレガントな建物です。三井財閥の迎賓館的な使われ方してましたが、今は結婚式場としても使えるみたいですね。
山に行けない時に、こうやって街を歩き建築物や街の歴史に思いを巡らせるのも楽しいですね。結局、この日は9.8km歩きました。
台風19号。各地で被害が出た。心が痛む。
12日は家の中でじっとしていた。
夜になるにつれ雨風がひどくなり、建物が揺れ始めた。
次にグラッときたと思ったら千葉で地震。
こんな時に。
更に今度はスマホが突然ピロピロなった。
東日本大震災以来、あの手の音がこわい。
みると多摩川氾濫の速報!
多摩川は1974年に堤防が決壊している。
嫌な予感がしていた・・・。
神奈川県の城山ダムも緊急放流。相模川も危険。
子供の頃住んでいた九州。台風が来ると、関東ではありえない強風と暴風雨に見舞われる。その恐怖に眠れなかった記憶がある。
今回はそれをはるかに超える猛烈な破壊力。
停電と断水に備えた。
13日。一夜明けると青空。
テレビをつけるとショッキングな映像。
埼玉、栃木、福島、宮城、長野、新潟など各地で堤防が決壊、そして洪水。
自然は本当に恐ろしい・・・。
栂海新道から帰ってきてはや1週間。
直線距離にして約27kmあるこのルート、やはり予習は必須だったと思う。
これでまず全体像を把握。ちなみに栂海新道の図は黒岩平周辺からとなっています。
でもこれだと地形がよく分からない。
そこで地形図の登場。3つも使います。
これだけで相当歩くのが分かります。
次に行動日毎のルートの確認。
初日の北又小屋から朝日小屋。
ずっと登り基調で等高線が狭い所が多い。
2日目の朝日岳から、
吹上のコル〜黒岩平〜犬ヶ岳〜白鳥山は、小ピーク・隠れピークが多く、アップ・ダウンの連続。
最終日のアップ・ダウンの振れ幅はだんだん小さくなるけれど、最後の下りは辛そう。
電子版の地図も持ってますが、コピーをとってメモ書きして持って行きました。
更に時間があったので、ルートを開拓した「さわがに山岳会」の小野健さんが執筆した「栂海新道ものがたり」を読んでみました。
小野さんの栂海新道関連の本は2冊ありますが、もう1冊は絶版なので(電子版はあります)こちらをゲット。
本を読むと、開拓当時の困難やルートに関する考え方を知ることができ、歩く人にははとても有益です。また熱い開拓者魂を感じることの出来る非常に興味深い記述となっています。
この地形図と本の予習がなければ、心理的に相当辛かったと思います。
この無雪期シーズンは、結果的に松尾芭蕉に所縁のある場所を歩くことが多かった。
鳥海山、月山、そして今回の親不知。
ここは北陸最大の難所。断崖絶壁だ。
現在は人が海側を歩くことはなく、国道8号線がトンネルや海沿いにへばりつくような形で通っています。その工事は困難を極めるものだったでしょう。
そんな天下の険を、昔の装備で歩くのは相当大変だったと思う。かの芭蕉も、奥の細道でこう記している。
「今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど云(いう)北国一の難所を越て、つかれ侍れば、枕引よせて寐(いね)たるに・・・」
今風に言うと:
「今日は親知らず・子知らず・犬戻り・駒返しといった北陸一番の難所を越えて、すごく疲れちゃったので、枕を引っ張り出して寝てたら・・・」
みたいな感じかな。もちろん芭蕉先生はこんなにラフな言葉は使わないでしょうけど。
芭蕉が現代人だったら、俳句の575の代わりにTwitterでつぶやき、紀行文はブログに、動画や写真はインスタにアップしてたかも?!
・・・と想像すると面白い。
ちなみに奥の細道の総歩行距離を調べたら約2,400km。
歩いた日数は調べると様々だけれど、今と違って歩くことが旅の基本だった時代。
現代人に比べれば、健脚だったんだろうな。そう考えると、芭蕉の「伊賀忍者説」も信じてしまいそう。その健脚あやかりたい。
★おまけ
芭蕉の足跡や親不知の説明が現地には、あります。
また親不知のジオラマも。
いずれも親不知観光ホテルのすぐ側にあります。
栂海新道を歩ききり、親不知観光ホテルで久しぶりのお風呂に入ったあとは散歩へ。
ホテルから、たったの2〜3分の距離。
ここにウォルター・ウェストン像があります。
「北アルプスの始まりは親不知」と言った人。
船の上からこの辺りを眺めてそう言ったからなのか、ウェストンさんは日本海ではなく、山側の北アルプスを向いています。
日曜日の午後ですが、あたりは静まり返っていて周りには誰もいない。ウェストンさんは、帽子にバッタをのせ、佇んでいました。
この方の発言がなければ、栂海新道を開こうと「さわがに山岳会」の小野さんは思わなかったかもしれない。そう思うと何とも言えない気持ちになりました。
その直ぐそばに小野さんのプレート。
横のあずまやからは、断崖絶壁と、
標識によると佐渡島も見えるそうですが、この日はあいにく曇り空。
栂海新道歩ききって、もうそんな気力もないかもしれませんが、ホテルからほぼ水平移動。
ここから海と山を眺め、歩いてきた道を振り返るのもおススメです。